無題

息子への手紙

母に心を破壊された私が、母になった。

2011年4月。

東日本大震災で混沌とした状況で私は東北から東京に身一つで就職した。

仙台の実家は被災。

金銭的にもメンタル的にも誰にも頼れず、不安の中上京。

貯金はゼロ。

食べていけないので、給料が出るまでは、隙間時間に寝る間を惜しんで風俗で稼いでは、生活の足しにして食いつないだ。

初任給は21万円と聞いていたのに、入社直前に「仮配属」という待遇を知り、5月にようやく振り込まれた初任給は11万円だった。

 

社会人一年目、涙が止まらなくなった。

仕事が出来ないほどに。

とてつもなく死にたくなった。

もう心も体も疲弊しきっていた。

自分の存在価値がわからなくなった。

心底、病んでいた。

 

その頃には複数の男に溺れ、

母よりも年上の男性とも何人か付き合った。

今思うと、「母から愛してほしかった」愛情の欠乏を、男性に求めていたのかもしれない。

私はあの頃、「保護者」が欲しかったのだと思う。 

 

休職と復職を繰り返し、4年目に会社を辞めた。

 

そこから職を転々とした。

アルコールに溺れ、たばこも覚えた。

夜、とにかく眠れない。

一人の夜が淋しくて、色んな男の人を家に呼んだし、その場限りでも「私を求めてくれる存在」がいないと怖かった。

ただ体を「消費」されているだけだとしても、それでよかった。

もう、私の存在価値なんてゼロに等しいから。

ろくに働かず、飲み歩いてばかりで生活なんて成り立っていなかった。

借金も重ねながら。

 

とうとう家賃が払えなくなった時。

保証人の両親に不動産屋から連絡が行ってしまった。

意に反して、滞納分の家賃は親が支払ってくれた。

 

その時、母は私を助けなかった。

弁護士に引き合わせ、私に自己破産を迫った。

「このままでは闘病しながらの奨学金やカードローンの支払いは不可」

「早いうちに破産しておいた方が、将来的に信用情報が回復するのが早くなる」

そんな話をされたような気がする。

「破産して実家に帰ってきたら?」

母の提案が、愛情にも優しさにも感じられなかった。

 

「こんな思いをさせてごめんね」

なんて泣いてくれるわけもなく。

親が払わなかった学費の奨学金も、全て私の責任。

親は、どこまでも私を突き放した、そんな悲しさしか感じなかった。

 

 

 

私は東京に帰ってきた。

飲み屋で飲み歩き、カウンターの客と平気で下衆な話ばかり。

だいぶ落ちぶれた私に「あゆみちゃん、そんな話しちゃダメだよ。」とその場で優しく叱ってくれた人が、今の夫。

夫とは付き合って3か月目でデキ婚した。

 

 

夫ともかなり衝突した。

蓋を開けてみれば、借金体質で私の財布からもお金を盗む人だった。

ブラックな職場に努める料理人で、私に寄り添う時間もなし。

散々だった。

 

そして、結婚5年で気づいた彼の発達障害アスペルガー症候群)。

夫婦そろって発達障害双極性障害というダブルパンチ。

そのせいで、私はずっと発達障害の夫に悩まされ鬱や体調不良に陥る、いわゆる「カサンドラ症候群」の状態だった。

複雑な私の心を読んでくれるほど器用ではなく。

産前産後のホルモンバランスが乱れ狂った私に対応できず、周囲に相談もできず。

結局彼は私に向き合うこともなく、ひたすら仕事に逃げ、肝心な話はフリーズ。

 

最悪なことに、産後すぐ息子を乳児院に連れていかれてしまう結果となった。

3か月以上家に帰ってこなかった。

生まれたばかりの息子を自分ので育てられなかったことは、絶対に一生後悔し続けると思う。

 

 

これだけ自暴自棄で、生きる価値がゼロの私が。

子供を授かって産んでしまった。

でも産後すぐはやっぱり社会的に育てさせてもらえなかった。

 

本能的に、赤ちゃんが可愛い。

本気で取り戻したい。

そう思って弁護士に相談し審査請求までして、息子を取り戻した。

 

この小さな赤ちゃんひとりを育てるのに、

住まい(公営住宅)、お金(年金)、育児協力(ヘルパー)、保育園(託児)・・・と、本当に多岐にわたって沢山申請や手続きをして。

こんなにも苦労しないと、育てる資格すらない私。。。

 

のうのうと生んで育てるよそのママに苛立ちを覚えつつも。

こんなにも親との確執で悩んできた人生。

わが子には絶対苦労させたくない、と思い始め・・・。

 

 

やっぱり、私自身が悩んできた「愛情」の在り方について凄く凄く深く考えることが増えた。

向き合わざるを得なくなった。

なので、沢山本も読んだ。

 

 

そこで知った原則がある。

それは、「健全な心は、幼い時の満足の上で育つ。」ということ。

愛情や欲求がすべて満ち足りたとき、子供は親の元を自ら立つのだな、ということ。

親は子供の素直な欲求、素直な甘えを満たしてあげる事。

それができて初めて「心が育つ」のだということを知る。

 

では、子供の満足を満たしてあげるには・・・?

「親が満たされていること」

も重要であって、親の自己犠牲の上では子供の幸せは成り立たない。

これは、すごく重要なのに忘れがちなこと。

 

 

息子を満たしてあげる事に全力になろうと誓った。

母は反面教師だ。

 

そして、私も満たされたいと思った。

私の欲求ってなんだろう。

・・・

そこで、やはり母からの愛情が欲しいと思ってしまう。

 

ほらね。

 

堂々巡りなの。

 

 

 

ねぇお母さん。

誰かが決意して愛してあげないと。

お母さんが私を愛してくれたら、息子も愛されるの。

わかる?

 

 

ねぇ、お母さん。

なんで私を避けるの?

お願い、もっと話を聞いてほしい。

なんでいつも途中で電話を切るの?

電話に出てくれないの?

 

 

 

そうやって心の中で、お母さんに声をかけて。

返事がなくて泣く。

その、繰り返し。

 

もしお母さんが居なくなったら、、、

私は自立できるんだろうか?